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明日は大学で仕事したあと国会前デモに参加する予定です。よく寝ておこう。
同じ論文を何度も全面的に書き直している(これで3回目)。以前に書いたときよりも、議論が明晰になってきているのを感じる。
ある特定の形而上学をいかにして現実のものにするか。現在のわたしたちが従っている形而上学的諸観念の桎梏を抜け出して、異なる形而上学的諸観念へと移行するためのエネルギーをどこに見出すのかという問題について考えている。形而上学それ自体のうちにその力はあるのだろうか。
千葉雅也『センスの哲学』(文藝春秋)を読み終えた。とても読みやすい。人生と芸術のうえでの「反復と差異」を楽しみながら生きるために必要なことが書かれていた。背後にある哲学的な土壌から、メキメキと音を立てて生え出てくる新緑のような文章。土壌の方に目を向けたい気持ちにもなる。
書き方はまだ実験中なので、今後変えるかも。1日ごとに振り返るというのではなく、1週間のことを一緒にしちゃうのがいいかもしれない。
書き方はまだ実験中なので、今後変えるかも。1日ごとに振り返るというのではなく、1週間のことを一緒にしちゃうのがいいかもしれない。
「餃子のリズムは複雑で、多層的に絡み合って展開していきます。音楽ですね。餃子は音楽なんですよ」(千葉雅也『センスの哲学』55頁)。餃子の襞がやっぱり大事だと思うんだよね。
週報を始めました。 【週報】4月15日〜4月21日註解 - わたくしごと註解 philoglasses.hatenablog.jp/entry/2024/04/…
系譜的同化というかたちで、混血を伴わない「首長の婚姻や賜氏姓によって天皇家を頂点とする在来氏族の系譜」への包含があったとする考えは、女性の地位向上を目指し母系制の理論を打ち立てることを目指した本人の意図に反して、異民族同化という当時の議論に転用されてしまうことにもなったという。
小熊英二『単一民族神話の起源』読書会を久しぶりに行い第11章「「血の帰一」——高群逸枝」を読んだ。アナーキストの詩人であった高群が、日本古代における母系制の研究を通して多数の祖先をもつ人々が単一の氏へと同化されることを理論的に整理したことなどが紹介されている。
カーネル・サンダース立像の手の位置が気になっている。なぜちょっと上がっているのか。なんの場面なのだろうか。
「飛び出し注意」は、飛び出す側ではなく、飛び出される側に向けた注意である場合が多い。
看護学校での2回目の講義では「私たちが他者のために働くべきだとすれば、その根拠は何か」というテーマで話し合ってもらった。そのための予備知識として、規範とは何かとか、行為とは何かということの初歩的な議論を野矢茂樹『哲学の謎』を教科書にして話した。
「間接統治」の問題とは、責任主体がみえにくく誰も責任をとらないことである。政策実施までを考えない無責任の体系ができてしまっており、さらに悪いことにある主体が退場してもまた別の主体が「間接統治」を狙い参入を図り、キリがない。文科省はそうした外圧に常に手を焼くことになる」(269頁)
青木栄一『文部科学省』(中公新書)を読み終えた。大学などについて議論する上で、皆知っているべきで情報が書かれていた。「間接統治」が鍵になっていて、官邸、他省庁、政治家、財界などが文科省を通して教育現場に力を及ぼそうとし、文科省もそれを放置している構図が様々な観点から示される。
夜勤前に月1の磐田地区労福協幹事会に出席しました。 話題として、先日開催されたメーデーと労福協フェスタの振り返りがありました。 メーデー式典後の駐車場の渋滞は来年への課題になりそうです。 今日のお弁当はすし天やまださんでした🍱 安定感のある美味しさでした😋